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カントルーブ:歌曲集「オーヴェルニュの歌」 [声楽曲]

ボクがクラシック音楽にのめり込み始めた頃、CBSソニーのクラシックLPのカタログがちょっとした小冊子になっていて、バーンスタイン、ブーレーズ、セル、ワルターなど有名なアーティスト別にページを割いていて、クラシック音楽入門用に当時は「座右の書」みたいに眺めていた。
そんななかでアイドルっぽく取り上げられていた若手美人女性メゾソプラノ歌手フレデリカ・フォン・シュターデのページが魅力的で、ルックスの美しさに目を奪われていた。

そうしてジャケ買いしたLPの1枚がカントルーブの歌曲集「オーヴェルニュの歌」第1集である。
ジャケットの美しさもさることながら、このLPの歌と演奏の美しさに圧倒されてしまった。
それ以来、フレデリカ・フォン・シュターデの虜(とりこ)である。

シュターデのことは以前にも

  ・フォーレ歌曲全集チクルス
  ・ドビュッシー歌曲全集チクルス
  ・フンパーディング:歌劇「ヘンゼルとグレーテル」
  ・マスネ:歌劇「ウェルテル」
  ・ドビュッシー:歌劇「ペレアスとメリザンド」
  ・Merry Christmas!

の記事で取り上げてきた。

シュターデはフランス音楽やズボン役(ヘンゼルや「フィガロの結婚」のケルビーノなどの少年役)などに定評があるが、とりわけ歌曲集「オーヴェルニュの歌」は十八番と言える曲のようで、ライヴ盤でも「バイレロ」は歌われている。

ボクはシュターデの最盛期に来日リサイタルに行くことができて、そのときはフォーレやマーラーとともにカントルーブの歌曲も歌っていた。
当時のシュターデはオペラ歌手がこんなに痩せていて大丈夫だろうかと思うほどスタイルがよく美しい人であったが、東京文化会館、昭和女子大学人見記念講堂の2公演ともに大ホールが優しく柔らかな歌声で満たされていた思い出がある。

*        *        *


ジョゼフ・カントルーブ(Joseph Canteloube, 1879-1957)はフランス中南部のオーヴェルニュ地方出身の作曲家で、同じくフランスの作曲家ヴァンサン・ダンディ(1851–1931)に師事していた。
カントルーブの作品は演奏される機会は少ないが、フランス各地の民謡の採譜・編曲を手がけた作品が評価されている。
「オーヴェルニュの歌」は代表作として録音が少なくない。

歌曲集「オーヴェルニュの歌」は、オーヴェルニュ地方の山岳部の険しい自然のなかで伝承されてきた農民たちの素朴な民謡をカントルーブが採譜して、華やかな管弦楽伴奏をつけた作品である。
1924年から1955年の間で、5巻全27曲にわたってまとめらている。

曲のタイトルだけみても、山岳地方の羊飼いたちの素朴な生活感が伝わってきそうである。

「オーヴェルニュの歌」

1. 羊飼いのおとめ
2. オイ・アヤイ
3. むこうの谷間に
4. 羊飼い娘よ,もしお前が愛してくれたら
5. 一人のきれいな羊飼い娘
6. カッコウ
7. ミラベルの橋のほとりで
8. チュ・チュ
9. 牧歌
10. 紡ぎ女
11. 捨てられた女
12. お行き,犬よ
13. 牧場を通っておいで
14. せむし
15. こもり歌
16. バイレロ
17. 3つのブーレ
  (泉の水/どこへ羊を放そうか/あちらのリムーザンに)
18. アントゥエノ
19. 羊飼いのおとめと若旦那
20. 2つのブーレ(わたしに恋人はいない/うずら)
21. 女房持ちはかわいそう
22. 子供をあやす歌
23. わたしが小さかったころ
24. むこう,岩山の上で
25. おお,ロバにまぐさをおやり
26. みんながよく言ったもの
27. 野原の羊飼いのおとめ


歌詞はオック語とよばれる古い南仏語で歌われている。
最も有名な「バイレロ」は高地の羊飼いの歌で、次のような歌詞である。言葉はわからないが、聴いていると雄大な自然を彷彿した曲想のなかでのびのびと朗唱される言葉が美しい。

Baïlèro


Pastré, dè dèlaï l’aïlo,
a gaïré dé boun tèn,
dio lou baïlèro lèro...
È n’aï pas gaïré, è dio, tu, baïlèro lèrô

Pastré, lou prat faï flour,
lical gorda toun toupèl,
dio lou baïlèro lèro...
L’èrb’ès pu fin’ol prat d’oïci,
baïlèro lèro...

Pastré, couci foraï,
èn obal io lou bèl rîou,
dio lou baïlèro lèro...
Espèromè, té baô circa, baïlèro lèro...


歌詞対訳
(CBSソニー「オーヴェルニュの歌」第1集 28AC1653、鈴木松子訳より引用)

バイレロ


川の向う側で、牧人よ
あんたは、バイレロ レロを歌っているが
ほとんど楽しい時がない
いや 私も そしてお前さんも バイレロを歌っても楽しくない

羊飼いよ 牧場は花盛りだ
お前さんは こちら側からお前さんの羊の群れを見守っている
バイレロを歌いながら・・・
今、牧場の緑は いよいよ冴えて来る
バイレロ・・・・・・

羊飼いよ 小川の水は溢れて来て
私は渡ることが出来ない
バイレロを歌っても・・・・・・・・
そこで私は探しに下ってゆこう バイレロ・・・・・・・


*        *        *


シュターデのLP(第1集)はその後CDも手に入れたが、第2集が発売されるまで5年ほどかかったと思う。

シュターデ盤の発売と同時期に、シュターデの友人でありライバルでもあったソプラノ歌手キリ・テ・カナワも「オーヴェルニュの歌」を出していた。
当時「レコード芸術」誌上で吉田秀和氏が両者の「オーヴェルニュの歌」を比較して、カナワ盤が純音楽的・歌曲的であるのに対して、シュターデ盤は演劇的(歌劇的)であるというような評価で、シュターデ盤のほうに軍配を上げていた。

ボクはカナワの声質が好きになれないので、もちろんシュターデ盤で満足していたが、その後、グレツキ「悲歌のシンフォニー」を歌っていたドーン・アップショウの澄んだソプラノも気に入って、アップショウ盤も購入した。

ある意味、アップショウ盤がシュターデ盤に対して純音楽的・歌曲的なアプローチであるように思った。
ボクはこの二種類を愛聴している。


(1)フレデリカ・フォン・シュターデ(メゾソプラノ)  アントニオ・デ・アルメイダ指揮 ロイヤルフィルハーモニー管弦楽団]
第1集


第2集

(2)ドーン・アップショウ(ソプラノ)  ケント・ナガノ指揮 リヨン国立歌劇場管弦楽団


シュターデの声は「琥珀色のラブリーボイス」と言われているだけあって、クリーミーというか綿菓子のようにふわっと柔らかで、やや太めの声質である。
アップショウは透明感があって軽く細めで、粘り気のある声質である。
声の軽いアップショウのほうがテヌート気味に重たく歌っているのに対して、声の重いシュターデのほうが緩急をつけたテンポでスタッカート気味に軽く歌っているのが、対照的である。

シュターデは歌のなかに笑いや泣きの表情付けをするのが得意で、トゥルルルルルル・・・とタンギングするような箇所を強調するなど、豊かな表現をしている。YouTubeの「バイレロ」に見られるように、ダイナミックレンジの広い歌唱であるが、ff(フォルテッシモ)では嫌味にならず、pp(ピアニッシモ)の抜いた発声も絶品である。若々しい色香も感じられる。

アップショウは透明感ある声は美しく、声の安定感は抜群である。几帳面にていねいに仕上げている。優しい「母性」や女性らしい魅力が感じられる。

オーケストラ伴奏は、アップショウ/ナガノ盤が録音がよく透明感があるが、シュターデ/アルメイダ盤のほうがスケール感・色彩感が豊かなので、あくまでもボクにとってはシュターデ盤が最高の演奏である。

この曲は全曲初録音したウクライナ出身ソプラノのネタニア・ダブラツ盤がスタンダードとして定着している。ボクはYouTubeで聴いてみたが、シュターデやアップショウほどには洗練されておらず、むしろ民族的な素朴な味わいが濃厚だと思った。「巻き」が強くややオバ臭い(あるいは田舎臭い)のでボクの好みではない。「バイレロ」は一本調子で途中で厭きてしまう。

カナワはところどころ音程の上ずっているところが気になる。一般的には好まれるソプラノであるのだろうが、しつこく歌い過ぎだと思う。
 
他にサラ・ブライトマン盤もあったが、ソプラノ歌唱を意識しすぎてかブライトマンらしい美質を活かしてないように思う。この人は軽く抜いたようなソプラノに魅力があるのであるが、ライブで力み過ぎているようだ。



フレデリカ・フォン・シュターデ(メゾソプラノ)
アントニオ・デ・アルメイダ指揮 ロイヤルフィルハーモニー管弦楽団
「バイレロ」


ドーン・アップショウ(ソプラノ)
ケント・ナガノ指揮リヨン国立歌劇場管弦楽団
「羊飼いのおとめ」「女房もちはかわいそう」「こもり歌」


ネタニア・ダブラツ(ソプラノ)/ピエール・ドゥ・ラ・ロシュ指揮
「バイレロ」


キリ・テ・カナワ(ソプラノ)
ジェフリー・テイト指揮 イギリス室内管弦楽団
「バイレロ」


サラ・ブライトマン(ソプラノ)
「バイレロ」
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Merry Christmas ! [声楽曲]

フリッカ (フレデリカ・フォン・シュターデ=メゾソプラノ) の出演しているクリスマスコンサートの動画がいくつかあった。

プレヴィン、マサカリス、バトルと共演したカーネギーホールのクリスマスコンサートのLDはよく観ていたが、LDプレーヤーが壊れてからは観られないままである。
YouTubeでその一部を観ることができて懐かしい。


共演:ウィントン・マサカリス(トランペット)
    キャスリン・バトル(ソプラノ)
    アンドレ・プレヴィン(ピアノ)


共演:ジェームス・ゴールウェイ(フルート)
    ウィーン少年合唱団


共演:ブリン・ターフェル(バス・バリトン)
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シューマン:歌曲集「詩人の恋」 [声楽曲]

今年はショパンイヤー、シューマンイヤー(ともに生誕200年)、マーラーイヤー(生誕150年)と言われている。ボクはショパンにはあまり関心はないが、シューマンは多くは聴かないものの歌曲集「詩人の恋」は好んで聴いているので、シューマンイヤーにあやかって取り上げてみる。


ロベルト・シューマン(1810~1856)はピアノ曲ばかり作曲していたが、1840年に歌曲の作曲に集中し、さらに翌年から交響曲の作曲に移っていったといわれる。その「歌曲の年」に、シューマンがハインリヒ・ハイネ(1797~1856)の詩の中から16篇を選んで「詩人の恋」と名づけた歌曲集を作った。

  歌曲集「詩人の恋」作品48 "Dichterliebe"

   第1曲 「美しい5月」
        "Im wunderschönen Monat Mai"
   第2曲 「わたしの涙から」
        "Aus meinen Tränen sprießen"
   第3曲 「ばらに、ゆりに、はとに」
        "Der Rose, die Lilie, die Taube, die Sonne"
   第4曲 「あなたのひとみを見つめるとき」
        "Wenn ich in deine Augen seh' "
   第5曲 「わたしの心をゆりのうてなに」
        "Ich will meine Seele tauchen"
   第6曲 「神聖なラインの流れに」
        "Im Rhein, im heiligen Strome"
   第7曲 「わたしは嘆くまい」
        "Ich grolle nicht"
   第8曲 「花が知ったなら」
        "Und wüßten's die Blumen, die kleinen "
   第9曲 「鳴るのはフルートとヴァイオリン」
        "Das ist ein Flöten und Geigen"
   第10曲 「恋人の歌を聞くとき」
        "Hör' ich das Liedchen klingen"
   第11曲 「若者はおとめを愛し」
        "Ein Jüngling liebt ein Mädchen"
   第12曲 「明るい夏の朝」
        "Am leuchtenden Sommermorgen"
   第13曲 「夢の中で私は泣いた」
        "Ich hab' im Traum geweinet"
   第14曲 「夜ごとの夢に」
        "Allnächtlich im Traume"
   第15曲 「昔話の中から」
        "Aus alten Märchen winkt es"
   第16曲 「いまわしい思い出の歌」
        "Die alten, bösen Lieder"


全16曲を通して1つの物語のようになっている。

主人公の詩人に、5月になってつぼみが開きはじめるのに合わせるように恋が始まる。
彼女への愛に酔い、高揚する気持ち。
しかし、やがて彼女は別の男と結婚することになる。詩人は彼女の裏切りに怒ったり、泣いたり、嫉妬したり、罵ったりと...惨めに終わる。

このよくあるような失恋の物語が、最初は明るく、やがて陰りが出てきて、どんどん暗く深みにはまっていくような曲想で描かれている。
歌だけではなく、ピアノ伴奏も独奏曲のように強く自己主張している。


ボクは20代の頃に「詩人の恋」にハマった。自分自身の失恋の思いを重ね合わせて、この曲に浸っていて涙していた。
今でもいい曲だと思って聴いているが、もうあの頃のようにこの曲を聴くことはできない。ほろ苦い青春の音楽である。

ボクは第1曲「美しい5月」が、甘美ななかに不安を湛えた曲想でとくに好きである。出だしから不安げなピアノで始まる。歌っている内容は片山敏彦の訳詩が文語調で格調高い。


    いと麗しき五月

  なべての莟(つぼみ)、花とひらく
  いと麗しき五月の頃
  恋はひらきぬ
  わがこころに。

  諸鳥(もろどり)のさえずり歌う
  いとも麗しき五月の頃
  われうち開けぬ、かの人に
  わが憧れを、慕う思いを。

  「ハイネ詩集」片山敏彦訳(新潮文庫)より引用


しかし、シャルル・パンゼラ(バリトン)のLPについていた対訳のほうが、よりストレートでわかりやすい。


    美しい五月に
  
  美しい五月になって
  すべての蕾がひらくときに、
  私の胸にも
  恋がもえ出た。

  美しい五月になって
  すべての鳥がうたうときに、
  私の胸にもえる思いを
  あのひとにうちあけた。

  フォーレ「優しい歌」/シューマン「詩人の恋」
  シャルル・パンゼラ(バリトン)
  のLPより 西野茂雄 訳(東芝EMI株式会社)



ボクが20代の頃に聴いていた音源は先に記事にも書いたスイス人(フランス系)バリトン歌手シャルル・パンゼラの1935~36年録音のSP復刻盤LPである。


 フォーレ「優しい歌」/シューマン「詩人の恋」
 シャルル・パンゼラ(バリトン)
 マドレーヌ・パンゼラ・バイヨ(ピアノ)、アルフレッド・コルトー(ピアノ)


CDではドイツのバリトン歌手ヘルマン・プライで聴いている。


 シューマン:歌曲集「詩人の恋」/歌曲集「リーダークライス」  ヘルマン・プライ(バリトン)、レナード・ホカンソン(ピアノ) 

ヘルマン・プライは来日公演でシューベルト歌曲集「冬の旅」を聴きに行ったことがあった。青年のような甘く若々しい声で、しかも底力のあるバリトンに魅了された。

「詩人の恋」もプライは甘く切なくて、しかもゲルマン的な厳格さも持ち合わせている。しかしパンゼラには、ほわっと優しく柔らかいバリトンで幽玄の世界に誘われるような魅力がある。


YouTube画像ではプライで全曲を聴くことができる。

シューマン:歌曲集「詩人の恋」プライ(Br)&ホカンソン(pf)


1/4 第1曲~第6曲


2/4 第7曲~第11曲


3/4 第12曲~第14曲


4/4 第15曲、第16曲


パンゼラの「詩人の恋」はYouTubeにはアップされていなかったが、「クラシックmp3無料ダウンロード著作権切れ歴史的録音フリー素材の視聴、試聴」のサイトからmp3ファイルをダウンロードして聴くことができる。

YouTubeではパンゼラはフランス歌曲ばかりアップされている。そのなかでもボクのいちばん好きなフォーレ「月の光」で、とりあえずパンゼラの歌声を聴くことができる。


フォーレ「月の光」
シャルル・パンゼラ(バリトン)、マドレーヌ・パンゼラ・バイヨ(ピアノ)
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ジョスカン・デ・プレ:ミサ曲「パンジェ・リングァ」 [声楽曲]



  http://www.hmv.co.jp/product/detail/332614[ジョスカン・デ・プレ
   ・ミサ曲「パンジェ・リングァ」(舌もて語らしめよ)
   ・ミサ曲「ラ・ソ・ファ・レ・ミ」
    ピーター・フィリップ指揮 タリス・スコラーズ]


ジョスカン・デ・プレ(1440?-1521)はフランス北部あたりの出身で、ルネスサンス時代のフランドル楽派とよばれる作曲家・声楽家である。レオナルド・ダ・ヴィンチと親交があったともいわれている。
はるかバロック音楽以前、ヴィヴァルディやJ.S.バッハより200年以上も前である。
いわゆる Early classical music のジャンルで、ボクはこの曲も含めてCD4作品くらいしか聴いてないので、生半可な知識しか持っていない。
ジョスカン・デ・プレはフランスやイタリアで宮廷や教会で活躍していて、当時の最高の作曲家と称されていた。
フランドル楽派としては、ギヨーム・デュファイ(1400-1474)やヨハネス・オケゲム(1410-1497)の系譜の大作曲家であったといわれている(いずれこのあたりを聴き深めていくうえで関わってくる作曲家だろう)。

ミサ曲「パンジェ・リングァ」はジョスカン作曲の名曲として、合唱作品、宗教音楽として親しまれている。4声のア・カペラの合唱曲である。

  Kyrie eleison  憐れみの賛歌
  Gloria in excelsis  栄光の賛歌
  Credo  信仰宣言
  Sanctus  感謝の賛歌
  Agnus Dei  平和の賛歌

の5曲で構成されているが、この曲のモチーフであるグレゴリオ聖歌"Pange Lingua"(邦題「舌もて語らしめよ」あるいは「声をかぎりに」)がこのCDの冒頭で歌われている。

グレゴリオ聖歌は9世紀以降に教会の典礼音楽として、無伴奏・単声の聖歌として伝承・発展してきたといわれる。ボクの素人主観としてはお経のようにも聴こえる。
グレゴリオ聖歌は、教会旋法といって12音よりも少ない音階による単声音楽ながらも、その後のポリフォニー(多声音楽)の発展に寄与してきたといわれる。
1つは分散和音的に、あるいは曲によっては離れた音の高低が二声の進行のように聴こえたり、教会の残響で和声的に聴こえたり、この曲のようにポリフォニー音楽の素材としても扱われてきたりと、影響したのであろう。

ミサ曲「パンジェ・リングァ」は、5曲ともグレゴリオ聖歌"Pange Lingua"を展開したといわれているが、ボクには1曲目の"Pange Lingua"を展開したKyrieをモチーフに、残り4曲が連なっているように聴こえる。


イギリスのヴォーカルグループ「タリス・スコラーズ」は総勢8名ほどで、女性ソプラノ、カウンターテナー、テノール、バスの4声合唱で演奏している。

この演奏のお奨めは「純度」の高さである。

編成が大きくなったり、調性的に発展するにしたがい、音楽は複雑になって(それだけに醍醐味が増し、面白くもなるが)、純粋な響きから遠のいていると思う。
現在聴いているたいがいの音楽では、ハーモニーの広い「誤差範囲」を、幅広いビブラートや人数(豊かな倍音)による分厚い響き(揺らぎ)や音色でカバーしているので、それを音響的には「美しい」と感じている。
それに慣らされた耳には十分ではあるが、たまにはあっさり・さっぱりとした「基本」に立ち帰りたいと思う。
だからといってグレゴリオ聖歌ではあまりに禁欲的過ぎて楽しめない。ちょうどよいところが、このルネスサンスのシンプルな多声曲である。

この曲に限らず、タリス・スコラーズはビブラートを極力抑えて、少人数によるア・カペラ合唱であることで、濁りの少ない「純度」の高いハーモニーを聴かせている。
ちなみに同じくルネスサンス音楽でピエール・ド・ラ=リューのレクイエムを歌ったホルテン指揮アルス・ノヴァのア・カペラ合唱のCDもたまに聴いているが、タリス・スコラーズほどにはビブラートが抑制されていない。アルス・ノヴァは「ふつう」の合唱よりははるかに透明感はあるが、ビブラートの箇所に濁りが感じられるので「純度」の点で物足りない。
やはり「純度」の高さはタリス・スコラーズならではと思う。

平均律に対して純正調のハーモニー(に近い)ということもあるだろうが、このあたりの議論には自信がないのでさらっと流しておこう。

この曲に限らずタリス・スコラーズの演奏を聴いていると、心が洗われるとか、癒されるとか気分的なものにとどまらず、もっと感覚的に耳が澄んでいくように思う。


YouTube動画では、タリス・スコラーズの演奏ではないが、初めにグレゴリオ聖歌"Pange Lingua"を紹介する。


グレゴリオ聖歌"Pange Lingua"


ここからがジョスカン・デ・プレ作曲 ミサ曲「パンジェ・リングァ」で、タリス・スコラーズの演奏である。


ミサ曲「パンジェ・リングァ」 Kyrie、Gloria


ミサ曲「パンジェ・リングァ」 Credo


ミサ曲「パンジェ・リングァ」 sanctus & benedictus


ミサ曲「パンジェ・リングァ」 agnus dei I,II,III



             *     *     *


ボクはヴァイオリン演奏やアマオケプレーヤーとして音楽を楽しみながらも、自身の発声は苦手なのでもともとは声楽や合唱には(好きな作曲家からの派生以外では)興味がなかった。
というか、たいがいはゴージャスなオーケストラ曲やシックなピアノ曲あたりからクラシック音楽にハマっていくものだと思う。

そんなボクが声楽や合唱を好んで聴くようになったのには2つの理由がある。

1つはヴァイオリン演奏するうえでの「歌」(カンタービレ)。

レッスンでもオケでももっと歌うようにと要求される。「歌」とは何か、基本は人間の発声する音楽の抑揚であり、自分で歌うのが苦手であれば、せめて「歌」を聴いて味わえるようになりたいと、ドイツ歌曲(リート)ならシューベルト、フランス歌曲(メロディ)ならフォーレを好んで聴くようになった。
それと、楽器でも歌うように演奏することで、より音程がよくなっていくとも言われたことがあった。淡々と楽譜どおりに弾くだけでは、自分のテキトーなクセのある音程でなぞってしまうだけであったが、「歌」を意識することによって、旋律線のなかで音程をとれるようになると思う。

もう1つはハーモニー。

アマオケ「東京ロイヤルフィル」に入ってからであるが、それまでのアマオケ(の指導者)と違って、合奏の音階練習に加えて、ハーモニーの基本練習を徹底していたことである。
とくに指揮者の要請があったわけではないが、メンバーによる自主的なウォーミングアップとして簡単な4声のカデンツ(終止形・・・単純な和音の進行・終止)をノンビブラートで練習していた。
トレーナーを兼ねたメンバー以外の団員も、「宿題」として持ち回りでハーモニーを作ってきたり、指揮台に立ってハーモニーを聴いたりした。ボクも自分なりに解決してないような変なカデンツを作ってきて、みんなの前で棒を振ったこともあった。
カデンツの合奏中は、ボクは自分流の「正しい」(と思い込んだ)音程で弾くのではなくて、全体のハーモニーを聴き(感じ)ながら臨機応変に音程を合わせる(溶かし込む)ということを経験した。
この経験がより「純度」の高いハーモニーへの志向となって、有志の間でもタリス・スコラーズのような古楽合唱の嗜好へ行き着いた。あるいは(ボクは中途半端にかじる程度に終わったが)「分離唱」という音感トレーニングの方法論を知ることもできた。
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職場の上司の演奏会案内(その2) [声楽曲]

また職場の上司が朝礼で、いきなり次の日曜日の演奏会の案内をして、ご自由にお取りくださいとチラシと入場整理券を置いていった。
上司の所属するオーケストラと合唱団の合同演奏会である。




宇治朝霧コーラス・カンマーフィルハーモニー京都 合同演奏会

Ⅰ 合唱 ステージ
 アヴェ・マリア(アルカデルト、カッチーニ、グノー)
 アヴェ・ヴェルム(フォーレ)
 アヴェ・ヴェルム・コルプス(プーランク)

Ⅱ オーケストラ ステージ
 シューベルト:「ロザムンデ」序曲
 R.シュトラウス:13管楽器のためのセレナード

Ⅲ ペルコレージ:「スターバト・マーテル」


指 揮  袖岡 浩平
管弦楽  カンマーフィルハーモニー京都
合 唱  宇治朝霧コーラス

2010年 9月 12日(日)
京都市呉竹文化センターホール(近鉄、京阪「丹波橋駅」西口前)

2:00 開演
入場無料


上司が出演するオーケストラの演奏会は、今までも何度もお誘いを受けながら聴きに行けなかったが、今回こそ聴きに行こうと思う。

合唱団との合同演奏は、ボクも東京ロイヤルフィル時代に3回ほど経験した。フォーレのレクィエム、ベートーヴェンのミサ曲、それと故 伴有雄先生の音楽葬で宇野功芳氏指揮のモーツァルトのレクイエム抜粋であった。
いつもオーケストラ曲ばかり演奏していると、たまに合唱や声楽と合わせるのは難しい面もあったが楽しいものであった。

上司の所属しているオーケストラの指揮者は、オーケストラと合唱団の両方の指導をされている方みたいなので、このようなマッチングになったのであろう。
宗教音楽を中心としたとても品のよいプログラムなので楽しみである。



≪追記 2010.9.12≫

行ってきました。

合唱は女声合唱でいわゆるママさんコーラスでした。
プーランクやフォーレなど和声的・ポリフォニックな曲も頑張っていたけれど、やっぱりグノーやカッチーニ(実はヴァヴィロフ作)のような旋律的な曲が、皆さん楽しそうに歌っておられて聴きやすかったです。

メイン曲のペルコレージは、オーケストラは弦楽合奏だけだったので、間にはさんだR.シュトラウスとシューベルトは管打楽器の出番を確保するための選曲だったようです。
R.シュトラウスの13管楽器のセレナードは雄大な曲想でしたが、どうしてもこの編成を聴いているとモーツァルトのセレナードを聴きたくなりました。
シューベルトでは唯一オケのフル編成を堪能しました。
カンマーフィルというだけあって比較的に小編成のオケだったので、ボクがかつて在籍していた「東京ロイヤルフィル」を思い出しました。管楽器に比べて高弦が薄かったのが物足りなかったです。

ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージ(1710-1736)はJ.S.バッハと同時代のイタリアの作曲家で、「スターバト・マーテル」は代表的な宗教楽曲です。
はじめて聴く曲でしたが、バッハの「マタイ受難曲」のような荘重な曲でした。
合唱も気合いが入っており、ソプラノ・アルトのソリストの美しい歌唱に聴き惚れました。
とくにフーガの楽章が2つあって、弦楽合奏も合唱も力強く盛り上がりました。


それほどレベルの高いアマチュアではないけれど、ご年配の奏者が頑張って弾いておられる姿が励みになりました。ちょっとしたアンサンブルの綻びがボクにはかえって生々しくて、自分がやっていたときと同じような親近感を抱かせました。
久しぶりにオケで弾いてみたい気持ちに駆られました。


ちなみにペルコレージの「スターバト・マーテル」は、合唱のないピリオド演奏版ですがこんな曲です。


Pergolesi: Stabat Mater (part 1)


Pergolesi: Stabat Mater (part 2)


Pergolesi: Stabat Mater (part 3)


Pergolesi: Stabat Mater (part 4)


Pergolesi: Stabat Mater (part 5)

クリストフ・ルセ指揮 ル・タラン・リリク
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フォーレ レクイエム [声楽曲]

週末に1週間ぶりに自宅のメールをチェックしていて、びわこフィルのチェロ奏者の方の訃報が入っていた。
すでに葬儀も終えられた後であった。
まだボクよりも若い方で、ボクの妻と同い年くらいの主婦である。
かつてボクが在籍していたときも、とくに親しくお話しすることはなかったが、いっしょに練習し、同じステージにも上がった。
アマオケ2つを掛け持ちするくらいの熱心な方で、一所懸命チェロを弾いておられたお姿や、合間に見せた笑顔が今もボクの脳裏に浮かぶ。
5月のオーケストラの演奏会にも出演されていただけに、さぞご無念であっただろうと思う。
残されたご主人やお子様の気持ちを思うと胸が痛む。

心からご冥福をお祈りします。

天国ではチェロを好きなだけ弾いておられることだろう。


今年の正月に父を亡くしたときと同じように、こういうときにボクの心に浮かぶのはフォーレのレクイエムである。
ボクの父は演歌一辺倒の人であったからフォーレは似つかわしくないのであるが、彼女にはこの優しいレクイエムは宗教的に深く考えなければ、惜別に相応しい音楽かもしれないと勝手ながらに想像する。


1.成り立ち

ガブリエル・フォーレ(1845-1924)はサン・サーンスの弟子みたいであり、ラヴェルの師匠でもあった。フランスのロマン派~近代の作曲家であり、若いときはオルガニストでもあった。
歌曲、ピアノ曲、室内楽曲を主要なレパートリーとしたが、「レクイエム」はフォーレの作品中最も名曲として知られており、数ある「レクイエム」のなかでも珠玉の「レクイエム」であり、特異な「レクイエム」でもあるといわれる。

フォーレ自身は教会オルガニストを務めながらもけっして信心深い人ではなく、

「他人の信仰に敬意をはらう不信心者の作品である」
(ヴュイエルモーズ著『ガブリエル・フォーレ 人と作品』家里和夫訳・音楽之友社)

といわれている。
それまでのレクイエムでは常識であった「怒りの日」(神の厳しい審判を意味する部分)の楽章が省かれ、常套的なテキストもまるで歌曲でやるように部分的な削除や追加など改変を施し、形式的なレクイエムにおいてもフォーレはある意味斬新で好き勝手している。
フォーレは死者に対して厳しい音楽ではなく、あくまでも清らかな優しい音楽を捧げたかったようだ。


2.構成・編成

 フォーレ レクイエム 作品48
   第1曲 入祭唱とキリエ
   第2曲 泰献唱・・・バリトン独唱含む
   第3曲 サンクトゥス
   第4曲 ピエ・イエズ(慈悲深きイエズスよ、主よ)・・・ソプラノ独唱
   第5曲 アニュス・デイ
   第6曲 リベラ・メ・・・バリトン独唱含む
   第7曲 イン・パラディスム(楽園にて)

フォーレ指揮の初演時の第1稿(1887-1888)では、「泰献唱」と「リベラ・メ」を除く5曲であった。ソプラノ独唱と合唱、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、独奏ヴァイオリン(「サンクトゥス」のみ)、ハープ、ティンパニ、オルガンという編成で、オーケストラは弦楽合奏であった。

第2稿(1888-1894)ではバリトン独唱を含んだ「泰献唱」と「リベラ・メ」が追加され、現在の原典版(1888/1893バージョン)と呼ばれる編成になった。最近になってヘレヴェッヘやガーディナーによる演奏で有名になった。バリトン独唱に、ホルン、トランペット、トロンボーンが加わったが木管はない。あくまでもヴァイオリンはソロ1本だけであった。

第3稿になって、木管・・・フルート、クラリネット、ファゴットが加わり、ヴァイオリンもソロからテュッティに厚くなった。これが通常にオーケストラ演奏される版である。
フォーレ自身は出版社に頼まれてしょうがなしにこの「通常版」を作った。本当は室内楽編成とボーイソプラノの起用を望んでいたらしい。

いずれもヴァイオリンは1パートのみで出番が少ない(第1曲、第2曲はない)。第1ビオラ、第2ビオラ、第1チェロ、第2チェロ、コントラバスと弦セクションは中低声部を重視した編成である。

ちなみに「国際楽譜ライブラリープロジェクト」より第2稿(原典版、室内楽版)、第3稿(通常版)のフリーのスコアを閲覧できる。


3.CD

この曲の聴き始めはLPで

 (1)ダニエル・バレンボイム指揮 パリ管弦楽団
   シーラ・アームストロング(ソプラノ)
   ディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウ(バリトン)
   エディンバラ・フェスティバル合唱団

を、学生のときからポケットスコア片手に聴いていたが、もう長い間聴いていない。わかりやすい演奏だったと思う。フィッシャー・ディースカウの独唱が雄弁で力強かった。

CDになってからは長い間

 (2)ミシェル・プラッソン指揮 トゥールズ・キャピトル劇場管弦楽団
   バーバラ・ヘンドリックス(ソプラノ)
   ヨセ・フォン・ダム(バリトン)
   サン・セバスチェン合唱団

を愛聴していた。プラッソンのフォーレ管弦楽曲全集がよかったので購入したが、今聴くとテンポはとてもゆったりしていて、くすんだ音色である。
ヘンドリックスのソプラノは透明感があって昔は好きであったが、ヘレヴェッヘ盤を聴くようになってから、抑揚の大きいビブラートが不純にさえ聴こえるようになってしまった。

 (3)ルイ・フレモー指揮 モンテ・カルロ国立歌劇場管弦楽団
   ドゥニ・ティリニ(ボーイ・ソプラノ)
   ベルナール・クリュイセン(バリトン)
   フィリップ・カイヤール合唱団

これはデュリュフレ「レクイエム」自作自演盤との2枚組CDで買った。録音は古いがテンポは遅過ぎずに聴きやすい。ボーイソプラノはよく言えば純粋無垢であるが、あまり上手くない。もっと上手なボーイソプラノもあっただろうにと悔やまれる。

そして、いちばん気に入っているのは第2稿原典版による演奏

 (4)フィリップ・ヘレヴェッヘ指揮 シャペル・ロワイヤル
   アグネス・メロン(ソプラノ)
   ペーター・クーイ(バリトン)
   アンサンブル・ミュジック・オブリーク

のCDである。
初めてこのCDを聴いたときには、「通常版」に聴き慣れた耳にはヴァイオリンソロが鮮烈に聴こえた。
ヘレヴェッヘは古楽合唱・ピリオド演奏も手がける指揮者だけあって、とにかくハーモニーの美しさが格別である。
室内楽編成なのでハーモニーの純度が高いとも思う。
とくにピエ・イエズのビブラートも抑揚も控えめなソプラノ独唱には癒される(下記動画参照)。
ちなみにヘレヴェッヘは後に「通常版」も録音している。

 (5)エミール・ナウモフのフォーレ:レクイエム(ピアノ独奏版)

フォーレ:ピアノ曲全曲チクルス」の記事でも取り上げたが、エミール・ナウモフのピアノ独奏編曲版も、逆に「通常版」から究極に引き算して、そのエッセンスだけを抽出したような演奏で聴き応えがある。フォーレの作曲過程ではこんなんだったんだろうかとも想像する。ピアノ独奏を聴いていても頭の中では合唱や独唱が鳴ってしまうところが、ふつうのピアノ曲と違った味わいである。


4.参考動画

「通常版」の定評ある名演奏の動画を見つけられなかった。
ヘレヴェッヘの「原典版」から3曲を紹介する。


第3曲 サンクトゥス 


第4曲 ピエ・イエズ


第7曲 イン・パラディスム


ボクが最近気になっている女流指揮者で、アーノンクールにも師事したという合唱指揮者ロランス・エキルベイの動画(音源)も貼り付ける。
このプロモーションビデオは「レクイエム」のハイライトをうまくまとめている。

 
エキルベイ指揮 フォーレ「レクイエム」プロモーションビデオ


エキルベイ指揮 第4曲 ピエ・イエズ


エキルベイ指揮 第6曲 リベラ・メ


それと、エミール・ナウモフのピアノ編曲版より


第7曲 イン・パラディスム


5.ボクの思い出

ボクはフォーレのヴァイオリン・ソナタ第1番に聴き惚れてしまって以来、フォーレはいちばん好きな作曲家である。最初は室内楽を聴いていたが、3大レクイエムの1つに数えられ、名曲の誉れ高いフォーレ「レクイエム」もバレンボイムのLPで愛聴した。
INTERNATIONAL MUSIC COMPANY のポケットスコアを買って、ひたすら聴き込んだ。
ボクは楽器に頼らなければ音程は取れないのだけれど、楽譜の音形を見ながら聴き覚えた旋律を思い浮かべることはできた。

就職して間もない頃、2ヶ月間、地方の工場で研修勤務を命じられた。国民宿舎に泊まって夜勤で工場のラインに立った。夜勤はきつく、日中に宿舎で休憩するときに、まだウォークマンなどなく大きなラジカセも持ってこれなかったので、ポケット・スコアを眺めては頭の中でフォーレ「レクイエム」を流していて、これが安らぎであった。

その数年後の東京勤務時代にはアマオケ「東京ロイヤルフィル」に入団して、モーツァルトを中心に充実したオケ活動ができた。
やがて大阪に戻ることになったが、戻った直後の演奏会がフォーレの「レクイエム」に決まった。
ボクは大阪に戻った後も、出張や私費で江東区の練習会場に通ってなんとか本番に出演できた。
このときのプログラムが

 1.モーツァルト 歌劇「魔笛」序曲
 2.モーツァルト 交響曲第36番「リンツ」
 3.フォーレ 「レクイエム」
 アンコール フォーレ 「ラシーヌ賛歌」
 
 梅村 榮 指揮/東京ロイヤルフィルハーモニーオーケストラ
 常森寿子(ソプラノ)、小松英典(バリトン)
 井上圭子(オルガン)
 合唱:マイスターコーア
 1988年 4月 17日 石橋メモリアルホール

である。


当時のチラシ

本番のときの感動は筆舌に尽くしがたい。
井上圭子さんは当時アイドル並みに可愛いルックスの方であったが(現在も美しい方である)、オルガンの響きがホール全体に、そしてボクの身体中に響き渡ったのを感じていた。
レクイエムではコンマス以下ヴァイオリンの実力者のほとんどはビオラに持ち替えて弾いていた。
ビオラを弾けず、持ってもいないボクは出番の少ないヴァイオリンであったが、だからこそステージ上で合唱・独唱・オルガン・オーケストラの演奏を堪能した。
聴き惚れてわずかな出番を落としそうになるくらいであった。
アンコール曲は合唱側からフォーレの「パヴァーヌ」か「ラシーヌ」のどちらかということで、ボクの希望の「ラシーヌ」を通させてもらえたのが嬉しかった。
もちろん前半のモーツァルトの選曲といい、なんとお洒落なプログラムであったろうかと今思い出しても感慨深い。



≪追記 2010.8.22≫

第2稿(原典版、1888/1893 version)のスコア(フリー楽譜)を印刷・製本して眺めながら、ヘレヴェッヘ盤やエキルベイ盤を聴いてみたところ、おやっと思う箇所があった。
基本的には第2稿なのであるが、ところどころ違うことをやっている。

ボクが気付いたのは、

・第2曲 泰献唱
 オルガンソロの部分がホルン?の重奏に変えられている
・第6曲 リベラ・メ
 6/4拍子に変ったところのホルンのファンファーレが、楽譜では第3稿と同じ、2部音符のタイの音形のところが、4分音符の3連符になっている。
・第7曲 イン・パラディスム
 拍頭のコントラバスのピチカートの箇所が楽譜よりも多い。

などである。

ヘレヴェッヘもエキルベイも同じようにやっているので、第2稿にまとめられるまでにも過渡的な版があったようだ。
というか、フォーレはオーケストレーションに藻頓着な人だったようなので、演奏のたびに行き当たりばったりの間に合わせで済ませていたのかもしれない。


≪追記 2010.10.6≫
 
アンゲルブレシュト&フランス国立放送管弦楽団 の1955年モノラル録音が「クラシックmp3無料ダウンロード著作権切れ歴史的録音フリー素材の視聴、試聴」のサイトでダウンロードできたので、今日の木更津方面日帰り出張の新幹線車内でじっくりと聴いてみた。
第3稿であるが、これがとてもよい演奏であった。
オケは中低音ばかり聴こえて高音部が弱かったり、合唱は女性パートばかり聴こえてバランスが悪いが、音質そのものは少々硬いなりに良好である。
最近の録音のように耳当たりのよいミキシングなどされてなく、ストレートな録音のままであるが、それがとても自然に聴こえた。
何よりもソプラノとバリトンの独唱がまろやかで美しい。ただ1曲だけのソプラノ独唱の良し悪しが、その録音の「聴きたい/聴きたくない」を左右すると思うが、この録音は間違いなくこれからも「聴きたい」演奏であった。
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ドビュッシー 歌曲全曲チクルス [声楽曲]

この3連休は、ちゃんと自宅で3連休できたので、3日間とも早朝ウォ-キングできた。
日中は妻と買い物に出かけたり、ゴロゴロしているだけであるが、ウォーキングできただけでそれなりに充実感があった。

この3日間のウォーキングでドビュッシーの歌曲全集などを聴いた。

  (1)ドビュッシー歌曲全集(CD3枚組)
     エリー・アメリンク(ソプラノ)
     ミシェール・コマン(ソプラノ)
     マディ・メスプレ(ソプラノ)
     フレデリカ・フォン・シュターデ(ソプラノ)
     ジュラール・スゼー(バリトン)
     ダルトン・ボールドウィン(ピアノ)
     EMI EAC-87015~18

  (2)ベルリオーズ「夏の夜」/ドビュッシー「選ばれた乙女」
     フレデリカ・フォン・シュターデ(メゾソプラノ)
     小澤征爾 指揮 ボストン交響楽団
     CBS MK39098


(1)の全集は昨年12月初めの出張以来、3回ほど繰り返して聴いた。

特にドビュッシーが大好きというわけではないが、ボクは学生の頃からフランス近代ものを好んで聴いていたし、フランス歌曲はシュターデの主要なレパートリーだったので、それなりに親近感がある。

まったくボクの主観的な感想であるが、同じフランス近代のフォーレの音楽には人間的な優しさや温もりを感じる。ドビュッシーも若干は人間臭さが残っているものの少々表層的で冷めた感じ。これがラヴェルになると人工的なガラス細工のような「冷徹な美しさ」といった印象である。

ウォークマンで聴き流す分には、いちいち曲のタイトルを確認しないので、ドビュッシーの歌曲はどれがどの曲かわからないままである。
それでも何となく初期のものはフランスロマン派の流れを汲んでいて、甘い旋律や情熱のようなものを感じさせるようであるが、だんだんと印象派らしくなると、旋律よりは微妙な和声の揺らめきが前面に出たような作風になるようだ。
内省的なフォーレの作風とは違ってドビュッシーには軽妙酒脱で、諧謔味もあるように思う。

このCDではスゼーの他に数人のソプラノ歌手が歌っていて、「忘れられたアリエッタ」6曲だけはシュターデも歌っている。
スゼーのバリトンが抑制された甘さと気品があって好ましい。各ソプラノもあっさりと透明感ある歌唱はよいが少々おばちゃんっぽい声質が気になる。唯一シュターデの若々しい色香のある歌声は心地よい。
シュターデにはもっとたくさん歌ってほしかったと思う。

もっとシュターデの歌を聴きたくなったので、ドビュッシー絡みで(2)のCDも聴いてみた。

こちらはオーケストラ伴奏歌曲で、ベルリオーズはロマンティックな旋律をシュターデは清楚に歌っている。
ドビュッシーのほうは女声合唱も加わり、精妙なオーケストレーションが施されていて、歌曲というよりは歌唱・合唱つき管弦楽曲といった趣きで美しい。いかにも印象派らしい揺らめきが感じられる。



シュターデ:ドビュッシー歌曲全集より"Fêtes galantes"
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ブリテン編 民謡歌曲集(サラ・ブライトマン) [声楽曲]

ウォークマンではブラームスの交響曲全集チクルスを粛々と進めているが(といっても歩きながら聴き流しているだけであるが)、先週から膝を痛めてウォーキングを控えている。
今日もウォーキングはしないで、家でパソコンで作業するかたわら、同時に起動したSonicStageでちょっと軽い曲を流した。
久しぶりにサラ・ブライトマンを聴いた。

サラ・ブライトマンは10数年前、まだボクが新婚のときに「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」が流行っていたのを妻がハマって、ブライトマンやアンドレア・ボッチェリのCDを何枚か購入してよく聴いていた。
「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」は妻が口ずさんでいて、ボクにもデュエットさせられたが、イタリア語の発音はわからなし、もちろんテノールのように歌えるはずもなかった。
いつしか、妻はボクの好きだったQueenにハマったり、欧米のアイドル系兄ちゃんにハマったり、最近はジャズヴォーカルにと遍歴している。

ボクはサラ・ブライトンマンの軽くて伸びやかで決してキンキンしないソプラノが心地よいと思う。
ミュージカルやポップス、オペラアリア、宗教曲などどれも素晴らしい。
しかしボクはシンセサイザーや電気楽器主体に音作りしたものは好まない。あくまでもオーケストラなどのアコースティックな演奏を好んでいる。
そんななかでも、ブリテン編曲のこの民謡歌曲集のCDは、ピアノ伴奏のシンプルな歌曲として極めつけであると思う。


  夏の最後のバラ~フォークソング集:ベンジャミン・ブリテン編
  (ザ・ツリーズ・ゼイ・グロウ・ソー・ハイ)

  1. ある朝早く
  2. ニューカッスルからおいででは?
  3. 優しのポリー・オリヴァー
  4. 木々は高だかと
  5. とねりこの木立
  6. ああ,ああ
  7. 答えのなんと優しいことか
  8. 牧童
  9. 春が過ぎてゆく
  10. 夏の最後のバラ(庭の千草)
  11. 美しいひとは愛の庭に
  12. 糸を紡ぐ女
  13. 愛しきわが祖国のハープ!
  14. 小さなサー・ウィリアム
  15. ねえ,クッションを縫える?
  16. しんとした夜にはよく
  17. おいらが親父のところで
  18. 慰めてくれる人もなく
  19. オリヴァー・クロムウェル

  サラ・ブライトマン(s)、ジェフリー・パーソンズ(pf)


ボクはこのCDを何年も前にTOWER RECORDS梅田店のクラシックの声楽曲のソプラノコーナーで見つけた。
ネットショッピングでは、このCDは他のブライトマンの作品と同様に「イージーリスニング」や「ヒーリング」にジャンル分けされているが、本来はクラシックの歌曲作品である。
フォークソングとはいっても、民謡をブリテンが歌曲として編曲した曲集で、フランスではカントループの「オーヴェルーニュの歌」などと同様に、編曲を超えた「作曲」だと思う。
聴き憶えのあるような素朴なメロディであるが、ピアノ伴奏はけっこう「現代的」で、いかにもブリテン作曲といってもよいような面白さがある。
ブリテンの作品は、ボクは弦楽合奏の「シンプルシンフォニー」を演奏したことがあるが、一見民俗的なようでいて実は冷めた諧謔的な音楽といった印象がした。
この民謡歌曲集も親しみやすいメロディを敢えて冷たく突き放したような作風になっている。

そんななかで、サラ・ブライトマンの軽やかな美しいソプラノは、やはり民謡臭さからはかけ離れてガラス細工のようにきらめく音楽である。

フォーレ 合唱曲集 [声楽曲]

先週末の帰宅途中でフォーレの合唱曲集の録音を2つ聴き終えた。

(1)http://www.amazon.co.jp/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%AC-%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%8C%E9%9B%85%E6%AD%8C%E4%BB%96-%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B9-%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3/dp/B001CRGT3C/ref=sr_1_2?ie=UTF8&s=music&qid=1263209837&sr=1-2[ジョン・オールディス指揮
  グループ・ヴォーカル・ド・フランス 「ラシーヌ雅歌」]
  1. ラシーヌ雅歌op.11
  2. 小ミサ
  3. 恵み深き御母マリアop.47-2
  4. サルヴェ・レジナop.67-1
  5. 見よ,忠実な僕をop.54
  6. マドリガルop.35
  7. 金の涙op.72
  8. 小川op.22
  9. タントゥム・エルゴop.55
  10. タントゥム・エルゴ(1904)
  11. アヴェ・ヴェルム・コルプスop.65-1

(2)http://www.amazon.com/Faure-Requiem-Cantique-Gratiae-Allegretto/dp/B000001KBK/sr=11-1/qid=1168038919/ref=sr_11_1/102-6263812-4049719[ガブリエル・フォーレ少年合唱団
 「ラシーヌの雅歌/フォーレ宗教曲集」] LPから録音
  1. ラシーヌの雅歌
  2. マリーア・マーテル・グラティエ
  3. タントゥム・エルゴ
  4. アヴェ・ヴェルム
  5. アヴェ・マリーア
  6. 祈り
  7. 小ミサ曲
  8. レクイエムより ピエ・イエズ
  9. レクイエムより イン・パラディスム


ガブリエル・フォーレ少年合唱団はずっと昔、学生時代に買ったLPである。
いつしかLPを聴かなくなって、レコードプレーヤーも壊れて聴けなくなっていた。
それでもずっと心のなかに残っていて、聴きたいと思い続けた演奏であった。

グループ・ヴォーカル・ド・フランスの演奏は同じような内容の合唱曲集のCDであったので購入した。
少年合唱と違って大人の合唱であるが、ガブリエル・フォーレ少年合唱団の演奏さえ聴いていなかったら、十分に満足できた演奏だと思う。

「ガブリエル・フォーレ少年合唱団」を数年前にネット検索したら、他団体の演奏のフォーレ「レクイエム」とカップリングになったCDが販売されていて欲しいと思ったが、Amazonの中古品で3万円ほどの値段であった。
3万円も払うなら、安物のLPプレーヤーとAD変換器を買ったほうが安いと思って、自分でLPをパソコンに取り込んでCDを作った。
こうしてやっとガブリエル・フォーレ少年合唱団の演奏を20年ぶりくらいに聴けるようになったのである。

ガブリエル・フォーレ少年合唱団の演奏は少年合唱ゆえの美しさもあるが、本質的にはノンビブラートのハーモニーが美しいと思う。

ボク自身の経験では合唱ではないが、かつて東京ロイヤルフィルの演奏で、モーツァルトのプラハ交響曲第1楽章冒頭をノンビブラートでハモらせる試みをしたことがある。ノンビブラートはピッチを合わせるのがとても難しくて、うまくいかないとやせたギスギスの音しか鳴らないが、全体のハーモニーさえぴったりくれば体中にゾクゾクくるようで、この世のものと思えないほど美しい響きがする。

ガブリエルフォーレ合唱団の「ラシーヌ賛歌」も「天上の音楽」といえる透明で純度の高い演奏である。

これに比べるとグループ・ヴォーカル・ド・フランスの合唱は、控えめながらもビブラートが気になってしょうがない。
人間味のある暖かい演奏ではあるが、あくまでも現世のものというか、「下界の音楽」にしか聴こえない。
ビブラートゆえに音色は柔らかいが、ハーモニーが濁ってしまい透明感が足りない。
大人の合唱でもタリススコラーズなどは古楽合唱ながら、ノンビブラートでとてもハーモニーの純度が高いと思う。もしタリススコラーズが「ラシーヌ賛歌」を演奏してくれれば是非とも聴きたい。

「ラシーヌ賛歌」は東京ロイヤルフィルでフォーレ「レクィエム」を演奏した後のアンコールの曲で弾いたことがる。ボクにとっては美しい思い出の曲である。


≪追記≫
ガブリエル・フォーレ少年合唱団(Choir Gabriel Faure)の清涼さには及ばないけれど、YouTubeにThe Holland Boys Choir の「ラシーヌ賛歌」があった。
ガブリエルフォーレ少年合唱団ではあえて省いているバスパートをとても少年とは思えないようなひげもじゃのオッサン?も歌っている。


オランダ少年合唱団「ラシーヌ賛歌」

フォーレ 歌曲全曲チクルス [声楽曲]

今日は体調が悪くて休んだが、整体院に行くまでの時間に眠れなくて、布団の中でシュターデの「美しすぎる」フォーレを聴いて、ボクのフォーレ歌曲全集チクルスは完結した。

今回のチクルスは

(1)エリー・アメリング(ソプラノ)、ジュラール・スゼー(バリトン)、ダルトン・ボールドウィン(ピアノ) 
「フォーレ:歌曲全集」(4枚組)

(2)バーバラ・ヘンドリックス(ソプラノ)、ミシェル・ダルベルト(ピアノ) 
「フォーレ/歌曲集」

(3)ナタリー・シュトゥッツマン(コントラルト)、カトリーヌ・コラール(ピアノ) 
「夢のあとで~フォーレ歌曲集」

(4)BRILLIANT盤 "Faure CHMBER MUSIC"(室内楽全集)よりサラ・ウォーカー(ソプラノ)、ナッシュ・アンサンブル
「優しい歌」(室内楽伴奏版)

(5)フレデリカ・フォン・シュターデ(メゾソプラノ)、ジャン・フィリップ・コラール(ピアノ) 
「フォーレ/月の光[歌曲集]」


である。


(1)アメリングとスゼーの全集は今まで通して聴く機会がなかった。
スゼーのリサイタルは83年頃、大阪シンフォニーホールに聴きに行ったことがある。
フォーレやプーランクなどフランス歌曲とシューマンの選曲だったと思う。スゼーは「美しき水車小屋の娘」のLPを愛聴していたうえに、フォーレを聴けるというので行ったのだと思う。
とても温和な歌唱でフォーレはよかったが、当時のボクにはおどけた曲調のプーランクはよくわからなかったくらいに記憶している。
スゼーは声を張り上げるタイプではなく、さらっと軽く流して歌っているようなところが少々淡白ではあるが、フォーレの強く自己主張しない音楽にはマッチしていていて気楽に聴ける。
「優しい歌」などはパンゼラほどの柔らかさはないにしてもとうとうとした味わいがある。
アメリングは昔は「オバハン臭い」くらいに思っていたが、これはルックスから抱いた先入観だとわかった。
軽くきめ細やかで清涼な歌声で、安定していて聴きやすかった。
もっとアメリングを聴いてみたいと思った。
ドビュッシーの歌曲全集もアメリング、スゼーにシュターデが加わったCDを持っていて、あまり聴いていなかったので、近々聴いてみようと思う。

(2)ヘンドリックスは黒人霊歌集やガーシュウィンやモーツァルトで気に入っていて、フォーレのCDも買っていた。ボクはヘンドリックスの歌声は繊細で透明感があって好きなのだが、フォーレはいただけない。
抑えて歌っているところはよいのだが、盛り上がると声を張り上げすぎてフォーレの淡彩な味わいが失われてしまう。まるで「てっさ」(ふぐさし)にポン酢ではなくトンカツソースをかけて食べているような違和感が残った。

(3)シュトゥッツマンは低めのアルト音域で、低いところはテノールを聴いているようであるが、とても安定している。ベルベットの生地のような心地よさがある。優しい母性につつまれているような感覚である。

(4)ウォーカーの 「優しい歌」はソプラノはふつうというか、あまり魅力は感じられないが、弦楽5部+ピアノの伴奏で室内楽曲としての醍醐味があった。

(5)そして、やっぱりボクにとって帰るところはシュターデである。
シュターデは「オーヴェルーニュの歌」と「フォーレ/月の光[歌曲集]」のLPを「ジャケ買い」して以来のボクにとっての永遠のアイドルである。
元祖「ビジュアル系」「ヒーリング系」「アイドル系」で売り出されたようなところもあるソプラノだが、カラヤンのドビュッシー「ペレアスとメリザンド」の録音、アバドのロッシーニ「シンデレラ」の映像などもあって実力派でもある。「琥珀色のラブリーボイス」がキャッチフレーズであった。
ボクが東京転勤になってから、シュターデの来日リサイタルを東京文化会館のプログラム2晩とも聴き(観に)に行ったことがあった。
細身で美しい人なのでオペラグラスで見とれていたが、大ホール全体にマイクも無いのに柔らかい・優しい歌声が響き渡るのに恍惚とした記憶がある。
シュターデのCDはオペラアリア、ミュージカルなどたいがいのものは入手したが、今はなかなか店頭に置いてないのが寂しい。
シュターデのフォーレは限りなく優しく柔らかくて心地よい。他の女性歌手には希薄な若やいだ女性らしい色香もある。
またコラールのピアノもしっとりとして控えめでよいのだ。
「月の光」「夢のあとで」その他、どれをとっても絶品である。
難を上げれば18曲と収録曲が少ないことであろうか。もっとフォーレをたくさん録音してほしかった。
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